ハッピーフィート見ました

映画「ハッピーフィート」をやっとレンタルして見ました。公開直後からずっと見たかったのですが、なんやかんやで今日まで見ずに引っ張ってました。私は非常に楽しめました。Lilo&Stitchに並ぶ良映画へと一気にノミネート。同時に借りたユージュアルサスペクツとスターリングラードより好み(ぇー


さて、ネタバレも含めていろいろ思うところもあるわけですが、これは見た人なら何かしらの感想は持つ作品でしょう。倫理観が前提にでてきてしまいがちですが、生態系や産業活動にも密接に関わる重要な示唆をいくつかしているとも感じます。色々覚書。


■作品の評価
あんまりWebの評価とか見ていませんが、まあ、後半環境保護の話にシフトしていくのがやりすぎな感じはあります。見ていて一番不安だったのは、

  • 漁船に取り付いたあとそのまま捕まる
  • スクリューに巻き込まれて死ぬ
  • 泳いでいく→そしてその後彼を見た者はいない
  • 浜に打ち上げられる→一般家庭で踊る幸せ生活
  • 水族館で心を失って終了(幻覚とか見えてなんかやばいor何も考えなくなる)
  • 水族館で踊る→一生スター街道まっしぐら
  • 帰って来たときに背中についているのが爆弾
  • やってきた人間が悪いやつ→皆殺し

と、漁船を追いかけ始めてからずっと不安の連続でしたが、とりあえず楽しい終わり方をしてくれて素直に安心しました。

環境保護の話にシフトしてそれが行き過ぎな感じがしたのは以上の通りですが、まあ、人間の活動の一側面というか、こういうことをしているんだよ、というのがよくわかる作りで、見ている人間側からすれば醜いものや一方的な精神攻撃を受けているとも感じられますが、現実を見ればこういうことですし、むしろ踊った後に環境保全の活動という方向に世界が動いたというのことに素直に安心すべきではないでしょうか。これで「予算が…」とか「無理無理」みたいに話が進んでいたらそれこそ救われない世界なわけで。

ただ、私がこのDVDを見つけたコーナーは「アニメ」のコーナーで、もちろんシュレックとか並んでいるあの辺ですが、同じ並びにドラえもんアンパンマンと特撮が並んでいたのはもしかしたら配置ミスかもしれません。子供に悪い影響があるとは思いませんし、私は是非子供に見せたい作品だと思いますが、楽しみだけを目的に借りた場合、家族の中では子供より親の方がダメージがでかいと思います(笑
子供は素直に作品を受け取るでしょうし。


■音楽
歌やダンスがテーマの作品なので、作品中歌いまくりなわけですが、イントロのお父さんがプレスリーなハートブレイクホテルというところでもうツボでした(笑
お母さんもなんか有名なのをやっていた気がしますが失念。あとはスティーヴィーワンダーにクイーンにアースウインドアンドファイアなどなど、とにかく洋楽を何かしらでかじったことある人にはおなじみのナンバー目白押しで楽しめました。

ダンスも痛快で、アメリカらしい雰囲気いっぱいでしたね。ペンギンたちが飛び跳ねて首を振るのは秀逸。アミーゴスが素敵でした。レミングスはJBに見えてしょうがありませんでした。というかそれを狙っていたのだと思いますが。


■動物達
ペンギンを取り巻く生態系を描いているわけですが、食物連鎖の中では中位くらいに属するのでしょう。正確な分類まで言えませんが、アザラシやオットセイ、シャチや鳥(カモメと作品では言っていましたが)に食べられる立場であると同時に、下位の魚を食べる。そして、下位である魚が減ったのでみんな生存を脅かされている。

オットセイやシャチはともすればかわいい対象なわけですが、この作品では非常に獰猛で危険なものとして描かれていましたね。オットセイなんて水族館にいたときは濡れた犬ですよ!(八景島シーパラダイスのふれあいラグーンで触った感想)
シャチに至っては体中キズだらけでしたので、多分人に傷つけられたのでしょう。購入に1億円(予想)かかるシャチは海の王者であり、サメや鯨を食らうハンターなので、海でそうそうキズをつけられることは無いでしょう。

ゾウアザラシたちが「やつらは鯨さえもしとめる」と言っていたのが日本人としては耳が痛かったり。


■主役のペンギン
主役のペンギンはざっくり言ってしまえば「障害のあるペンギン」であり、障害者が社会の中を生き抜くのが困難であることを見せつける倫理的に非常に難しい命題となっています。生きていくことに必要な「歌うこと」が満足にできないので将来がないと考えられています。彼が困難に立ち向かうにあたっては、勇気を持って果敢にチャレンジすること、自分にできることを精一杯やること、決して見返りが欲しいわけではないことなど、とても美しい部分を沢山見せてくれました。もちろん、彼には「ダンス」という特技があり、それが「自分らしさ」であるので、それを存分に発揮したわけですが、その「自分らしさ」は自分以外の誰かが見つけてあげること、見つけた上でそれを活かしてあげること、これが非常に大事だと思わせる話でした。いくら自分に何かを持っていても、それを誰かが活かしてくれること、みんなが認めて上げられる環境が必要です。これは、現代の社会というか日本だけでも充分に当てはまると感じた人も多いのではないでしょうか。劇中の彼は、一時は「皇帝ペンギン社会の悪魔」とまでされたのですから。

既にどこかで書いたかもしれませんが、いろんなところで話しているので覚えていません。以前、電車に乗ったら前に立っている女性が「悪魔の本」みたいなタイトルの本を読んでいました。内容は、小人症とか、大男になってしまう病気などをはじめとした、障害をもった人が扱われた歴史のようなものを研究しているものだと、私は解釈しました。ようは、人から生まれた「障害のある人」が「正常でない」とされ、「悪魔の子」とか呼ばれたり、その母親が「魔女」とされたりした歴史があったのではないか、ということです。そして、そういう子が生まれた背景には、近代なら工業化の汚染とかそういうものも含めて、もしも飢饉や自然災害と重なった場合、そうした悪いものをもたらした子だとされる社会的な意識があったのかもしれません。災害などで母体に何かあれば障害児の生まれる可能性も高くなるわけですし、社会的な状況と子供の出生・発育には綿密な関連があると考えられますので、こうしたことは至極当然のことと考えられます。

脱線しましたが、とにかく、過剰に「自分らしさ」とか「やりがい」とかを主張しすぎる社会というのが非常にうさんくさいと感じてやまないわけです。もちろん、それをどう売り込むのかというのは重要な要素ですが、そもそもそれを受容できる器がある社会かというのも重要なのです。

作品ではプレスリーみたいなお父さんがめちゃくちゃ世間体を気にするせいで、老人会に反論するお母さんと意見が食い違っているシーンがいくつかありましたが、お父さんの行動は群れの中では至極当然の行動であり、非難できるものでもありません。お父さんには「卵を落とした」という自責の念があり、お父さんが恐れたのは自分が群れの中でダメな父であることを受け入れることだったのかもしれません。「卵を落とした」行為は飛躍しすぎかもしれませんが「母体を蹴った」と考えてもおかしくないわけですし。「卵を落とさない」が「掟」であっただけに、「掟」をやぶったお父さんはペンギン社会に対する反社会的行為をしたを思って差し支えないわけです。非難は自分に集中しますし、子供さえちゃんとなれば=結果さえ良ければ面子は保てる、と考えていたのかもしれません。

主役の彼自身は先天的な、親のせいでのハンデを背負ってしまったわけですが、親や仲間は一切責めずに自分にやれることをやろうと動き出します。ペンギンの話ですが、種を超えたペンギンと人間という構図で、理解しあえるかというところが後半見受けられましたが、彼ができることを誰かが気づいてあげる、それが劇中では人間の女の子だったというだけです。


書きたいことをバーっと書いてしまいましたが、とにかく楽しいながらも厳しい話でした。イントロは『皇帝ペンギン』かと思うぐらいの内容でしたが、ポップな教養番組としても面白いかも。見ていない人は是非見て欲しいな、と。最初から最後までちょっと泣きそうなところ多すぎですが(ぁ