『ウッドストック伝説』(1992 著:ジャック・カリー 訳:棚橋志行 NTT出版)

映画『ウッドストック』は何らかの形で日常的に音楽にふれている私達にとって大きな影響力があると感じる。信じられないくらいの大観衆、麻痺する交通、驚きのライブパフォーマンス、そこでの営みや生活など、全てが現代人にとっては不思議で驚きに満ちており、そこに行かなかった人々やそれに実際に背景として関わらなかった"ウッドストック以後"の世代にその断片を伝える大きな役目を担っている。しかし、それはあくまで"断片"であり、全てではない。そしてそこに描かれきれなかった、あるいは見落としがちな側面が多くあることは否めない。少なくとも3日間に及ぶ時間的な側面は、ディレクターズカットにして4時間に収縮されていることは事実である。


ウッドストック伝説』はDVDに対してよりリアルな声を収録したウッドストックの一つの報告書である。これとDVDをあわせて見えるウッドストックを考えてみたい。


ウッドストックの開催地
ウッドストックの開催地はその名の通り「ウッドストック」ではないことは有名である。当初はウッドストックで開催する予定であった。しかし、構想の段階でも大きな規模になると予想されたウッドストックフェスティバルは、人々から異質な目で見られた危険な若者達を数限りなく呼び寄せる狂気のイベントであると地元住民達から反発があった。そのため、開催地は少しずつ「ウッドストック」から離れることになり、最終的に開催地であるマックス・ヤスガーの農場に決まったのは本番のほんの3週間程度前であった。会場はそこから突貫で工事が行われ、映画の冒頭の設営シーンはその様子であると思われる。実際にはフェンスを張ることもままならず、屋台村は充分に準備できなかった。規模が大きいとはいってもここまで大きくなるとは予想できなかったことから、水や食料のラインは危ういものであったし、ステージもメディア用のタワーも基礎のなってない粗末な建築であった。それゆえライブステージとしては最悪の音響状況であり、どの機器が壊れてもおかしくない状況であった。警備を依頼する予定であった非番の警官達は、上からの通達によりその仕事を行えなくなった。DVDでわかることといえば、観客が集まっているにも関わらず設営が続けられていたことと、交通麻痺で観客はもちろん出演者も到着できなかったことである。イベントはその基盤自体が危うさと不安の中で常に揺れていたといえる。


ウッドストックの矛盾
ウッドストックフェスティバルは「愛と平和と音楽の3日間」と銘打たれ、その開始前から盛んに「どえらいイベントになる」と叫ばれてきた。愛と平和を信条とする人々、特にヒッピーと呼ばれた若者達を中心に、資本を遠ざけ、自分達と同じ思いの人間達が一箇所に集中し、みなで自由を共有するイベントであるとされた。しかし、実際には多くの資本や体制の思惑の中にあったとも言える。ウッドストック以前から始まり、現代までその興行が行われている「フェス」というショービジネスである。ウッドストックウッドストック以前に成功を収めた多くのフェスがあっての構想である。そして、これらの成功は群集を集めたということもそうだが、ビジネスとして成功した。これらは資本主義と共産主義の間で揺れる当時のアメリカの中で、非常に重要な意味を持つ。ヒッピー達が愛と平和を信じ、同胞愛の下でイベントに参加したことに対し、運営は多分に資本の影響力を受けた。出演者へのギャラはもちろん、映画化・CD化という思惑、儲けを出す算段。そして、会場が転々としたことはもちろん体制から排除されたことであり、その活動は体制に取り入ることに他ならなかった。すなわち体制と仲良くしなくてはフェスを行う会場すら確保できなかった。もちろん、開催地はある程度強行に決めた節はあるだろうが、それは体制に反旗を翻す行為とイコールではないだろう。そして、反体制的、その最小の単位は家族に対する反対であるが、そうした大人たちへの反対として、性やドラッグや放浪といったイデオロギーを行使してきた若者達は、その彼らの言う自由の行使はちゃんと働く大人達の支えが許してきたのだということをこのウッドストックフェスティバルは3日間の内に証明してしまったと考えられる。


ウッドストックの出演者達
出演者達は数曲でステージを降りた者も居ただろうが、それぞれ40〜60分は時間を与えられていたと思われる。DVDにおける4時間という枠で舞台裏や"ウッドストック村"の様子まで映した映像が全てのアーティストをカバーできたわけではない。詳しくは検索などで調べてもらいたいが、グレイトフルデッドやジョニーウインター、ポールバタフィールドブルースバンドなどをはじめ、数多くのアーティストがカットされている。『ディレクターズカット』で見られるジャニスやジェファーソンエアプレインは当初の映画やビデオでは見られなかったアクトである。そして、これらのアーティストは映像作品としてのインパクトのために順不同で紹介されている。最低限朝から夜という時間的状況は崩さずに編集されているが、これらも、3日間のイベントがこの3日間という物語の中で一つの劇的な状況が展開したことを少し別の形で印象付ける形になってしまっている。それぞれの出来事やそれぞれの出演者のアクトはその時間や状況下において様々に増幅されるものだからである。


・映像では見えにくいもの
ウッドストック伝説』という本は、実際にそこに関わった人間達をインタヴューする形で書かれている。よって、記憶に頼り、非常に不安定であったり曖昧であったことも多かったと、著者自らも認めている。しかし、最低限そうであっただろうという事実は浮き彫りにできる。それはこの現象が背景に持っていた"セックス・ドラッグ・ロックンロール"である。映像の中でもなんどもマリファナを廻すシーンや裸の男女が抱き合うシーンが登場する。それらはもちろんこの文化の特徴を最も露骨に表現しようとした一つの形であるが、そこはカメラのレンズを通しての姿でしかない。まず一ついえることは、ドラッグをみんなが廻してやっていたが、ドラッグを廻すことも必要ないくらいいたるところでドラッグが焚かれていたので、あたりがドラッグの煙で立ち込めていたということである。現代の日本・東京が分煙化を推し進め、いたるところに喫煙所という名の溜まり場を作り出しているが、そこを見ると辺りが煙で曇っているのはよく判ると思う。あれがあの会場全体で起こっていたということだと思う。同書に登場するある人物は「漂っている煙を吸っただけでハイになった」と告白している。またセックスも同様である。彼らはフリーラブ・フリーセックスの名の下に、どこでもヤった。誰とでも寝た。草原はもちろん"みんなのセックススポット"だったし、ライブ会場のいたるところで抱き合っている男女が居た。すぐ隣に誰か居てもお構いなしだった。これらは映像として頑張って捉えようと努力は払っただろうが、やはり伝わりきらない部分であると思う。


ウッドストックの終焉
最後はジミヘンドリクスの演奏にダブらせた会場の最後の姿で映画の幕が落ちる。人は数メートルに一人くらいの人数しかいない。残った人間達で後片付けをする。誰かの捨てていった衣類を失敬して帰路のお供にする者もいる。祭りの後の会場はさながら空襲にでもあったかのような荒廃ぶりである。Back to Natureを掲げたヒッピー達の祭りの跡にはやはり"ゴミ"が残ったのだ。人間が集まり生活した後には"ゴミ"が残る。有機野菜やインディアン文化などをはじめ、自然に近い形での生活をもちろん夢見て、その後もそういった自然との付き合いを大事にしようとする人間達も居ただろう。しかし一つのムーブメントが大きな流れとなって押し寄せたこのフェスティバルに残されたのは大量のゴミと荒廃した土地であった。特に土地が酷かったようだ。多くの参加者にトイレが充分に確保されなかった。そのため自然の中に排泄するということが普通に行われた。これにより、マックス・ヤスガーの土地はもちろん、近隣の土地も食物の栽培をすることができなかった。人糞の土地でできたトウモロコシを人間が食べるわけにはいかないというわけだ。そして、この50万人のした排泄物は数年の間土地に臭いを残した。
また、このイベントに多くの意味を付与しようとする動きももちろん起こった。これは今にも続くことではあるが、その多くは文化的背景や社会情勢との絡みで語られるであろうし、私もそう考えている。しかし、参加している真っ只中でそのようなことを考えていた人間がどれほどいたことだろうか。背景としては、ある社会的な環境から生まれたそれぞれの"ヒッピー"が同調しあう中で用意された巨大なイベントに参加したということであり、その社会的な環境だとか背景だとかというものが大いに意味を持つであろう。しかし、参加しているという人達にそんな意識があったかというと疑問である。ムーブメントの集大成ではあるかもしれないが、なんの直接行動もなければ、ただみんながステージの前に座りドラッグを廻しあいセックスにふけり音楽に陶酔した、みんなが同じであるということがそこにいて、それを楽しんだ人間たちのそのときの一番の状態であったのではないかと推測する。イベントに意味を付与する動きは、マスコミによって様々に操作され、今でこそ「60年代を代表する文化の象徴」とか「伝説的ロックフェスティバル」とか危うくないテーマが与えられてはいるが、時代の流れと共に古いもの、恥ずかしいものにされていったことは事実である。


今日もここまで