学校裏サイト

先日も話題に出した裏学校掲示板ですが、メディア上正式には「学校裏サイト」というようですね。先ほどもニュースで取り上げられていました。正直子供の遊びですが、やはり社会関係上は好ましくない状態にあるのは事実ですね。


なにより、誰が言い出したかわからないが悪口が書かれだしたりするといっせいにその悪口の賛同者が(同一人物の自演であっても)ぽこぽこ現れて、一応学校内で使ってない人のほうが少なさそうな印象を受けるそのサイトから攻撃されるわけですから、普段の生活からおちおち変なことできない感じになることくらい容易に想像できます。隣の友達は大丈夫なんて思っててもそいつが率先して悪口言っている可能性なんて誰も否定できませんから、疑心暗鬼になって余計なストレス溜めていらいらし易くなって殺しとか精神不安定とか自殺とか、極端とは思いますが、全く関係ないと否定もできないところが嫌過ぎます。もちろん因果関係を認めるデータは実証できませんから、泣き寝入りと言えばそれまでですが、少なくとも正常な信頼関係を築くためのハードルをそんなに高くしなくてもいいではないかと思います。


インターネットは自分の知らない遠くへ私たちを連れて行ってくれます。しかし、それは同時に今までの人間のネットワークの広がり方とは違うパターンを示すことになります。これは以前にミクシィ社会学的研究を取り上げた時にも少し話題になりましたが、人間の友達(知り合い)を作るネットワークの広がり方は少人数から始まり、友達の友達へとかライフステージによる新しいコミュニティへの参加というもので徐々に大きく広がっていくわけですが、ミクシィなどのインターネットを利用したものだと、最初は友達などの少人数に始まるのですが、マイミク(友達登録・お気に入り)の数をどれだけ持っているかという統計を取ると、中間の人数(50〜100程度の単位の数字だったと記憶しています)があまりいなく、少人数か1000人越えの2極化現象が起きるというのです。これは、あくまで統計としてデータを集めた中で、少人数と大人数に二極分布していたということであって、これを読んでいるあなたが、「オレは100くらいだぜ」なんていう1サンプルの話ではありません。


ここで話題になるのは、人のネットワークは徐々に広がってきた、ということです。自分自身を考えて見ればわかるのですが、赤ちゃんとして生まれたときに親族(それもごく近い親戚)としか知りえなかった自分が、近所づきあいを知り、幼稚園や学校に行き、生活範囲を拡大していく上で獲得したネットワークがあるわけです。これは動物的にもいえることで、体のサイズの大きくなるにつれて、生活圏が広くなるのは生態学的にも言えるところであります。ここに、情報技術が介入してきます。電話と言った個人対個人(あるいは家対家)の機器やテレビ・ラジオといった一方通行のメディアや情報技術においては、相互関係の幅が狭い(あるいは相互関係が無い)というわけで、人間のネットワークは広がりを見せないわけですが、インターネットと言う大多数との相互関係がなされる環境下に置いてはその世界の広がりと言うのはもはや否定されるものではありません。


簡単な話、今までは学校にいる友達しか知りえなかった人が、携帯のネットやパソコンを使ったネットで極端な話海外の友達とチャットでリアルタイム(今ならWebカメラで多人数の会話)までできる時代です。今までの生物(人類)がなしえなかったネットワークの広がりのパターンを享受できる環境にある私たち(および子供たち)ですから、その運用についてよく考えざるをえません。


もう既に、私が子供の頃の当たり前が今の子供には当たり前ではありません。そしてそれぞれにその時代の人間の「自然」「当たり前」があるのです。それらを理解し社会に目を向けることが、知能をここまで広げてしまった人間に課せられた大きな「罰」だったりするのかななんて哲学的な考え方で締めくくったりしてしまいますよ。