会社の飲み会

というか、先日の親睦会です。初めて話した方も多く、というかまともに顔を合わせるのはこれがはじめてだったわけですが(ぁ
で、その親睦会の前に隔月に一度の会議なんてものに出席しまして、その中で自己紹介とかしたわけです。とりあえず、私の好きなことについてとにかくしゃべりまくったところ、色々と食いつかれる部分も多く、私的には大成功だったな、と。


とりあえず、私の父くらいの年代の人には当時のロッカーたちが沢山いるようです(ぁ
80年代くらいのハードロックが青春だった人とかが山盛りで、いろいろと話が聞けるのは嬉しい限りです。


中には戦前の方とかもいて、当時の生の話が聞けたり、それより下の年代の方でも、まさに学生闘争とか高度成長とか、私が興味の尽きない分野を生きてきた「生き証人」が沢山いて、これもよい傾向です。


何より、みなさん一時代を生きてきた人たちであり、面子も濃いな、と。
しかし、社会人になると見えてくるものもあり、ぶっちゃけしょうもない大人も多すぎだな、と。これはうちの会社の人ではなくて、普段の通勤中の社会人の人とかそういう意味で。


学生の頃は、「働くか働かないか」といった弁別で、働かないやつはダメだとか1人前じゃないとかそういう思いがみんなそれぞれにあったとは思うのですが、日本人の多くが社会人というよりは会社人間になる現状で、パイとしては「どうしようもない人間」も多くなりがちです。社会人が立派なわけではなくて、人として立派かどうかが本当に問われるのだと思います。


その上、研修では人として当たり前のことこそ、嫌になるほど何度も繰り返し強調されます。私は外部の研修に参加させて頂いており、しかもその研修には高卒や専門卒で一緒に研修を受けている人も多いです。決して学歴というもので人の良し悪しを問うわけではありませんが、多くの場合「あなた達は社会人になるのだから〜」といった言葉が強調されます。これだけ口をすっぱく言われるのは、それが出来ない人が驚くほど多くいるからである、しかも理系の場合さらに顕著である、という風にいわざるを得ません。これは程度の問題であり、たまたま多くいるというだけで、ちゃんとできる人だって確かにいるのです。でも、総体としてみた時に、一般化して言うにはやはり口うるさく「社会人として〜」といった言葉を使わざるを得ないのでしょう。


とりあえずしょうもない大人にはなりたくないです。切実に。