ジミヘンドリクス

ウッドストックについてのレポートを書き終えたのですが、ジミヘンについてちょっと調べモノをしていて、Wikipediaを見ました。ウィキだけでもジミヘンの凄さがわかってしまうわけで、他の様々な読み物読んでいたらきっと信者になってしまうんではというほど。いくつか抜粋して紹介しましょう。

  • アフリカンアメリカン(黒人)とアメリカインディアンの間に生まれる。そういえばどことなくアジア系な感じも。アメリカインディアンのルーツはアジアなので。
  • 生活苦により起こした自動車窃盗の罪で逮捕される。その際、投獄されるのを回避するために陸軍に志願して入隊。
  • アメリカ国内で公表された軍内部の記録によると、自慰行為と薬物、ギターにしか興味を示さない隊内部の劣等兵で、常に隊の規律を乱して問題視されていたが、ある日トイレの個室で自慰行為をしていた所を上官に目撃され、それが最後の一押しとなって除隊させられたという。ダメ人間を装って除隊されようとしたとも。
  • アイク&ティナ・ターナーアイズレー・ブラザーズモンキーズなど、数々の有名ミュージシャンのバックでプレイした。
  • エリック・クラプトンは「誰もジミー(Jimmy)のようにギターを弾くことはできない」という言葉を残している。
  • ジェフ・ベックやクラプトンは、「(メジャーデビューしたばかりのヘンドリックスの演奏を聴いて)廃業を考えた」と語っている。
  • ヘンドリックスのステージには連日ビートルズストーンズなどのメンバーが顔を見せ、出演するクラブには長蛇の列ができたと言われる。
  • ミック・ジャガーローリングストーンズ)はヘンドリックスのアメリカ国家演奏を「1960年代最大のロック・パフォーマンス」と賛美している。
  • ジャズ界の帝王マイルス・デイビスは同曲(「Machine Gun」)を聴き「俺はこういう音楽がやりたかったんだ」と語ったと言われる。
  • エリック・クラプトンは「一度目をつぶって演奏に耳を傾けてみればいい。ジミがどれほど優れたミュージシャンであるか分かるはずだ」、あるいは「僕とジェフ・ベックが二人がかりでいっても、ジミにはかなわないだろう」と最大級の賛辞を送っている。
  • ジェフ・ベックは「好調な時のジミを超えるギタリストなどいるはずがない。自分がギタリストであることが恥ずかしくなるよ」と語っている。
  • 現在ではロックギターの代名詞的なモデルとなっているフェンダーストラトキャスターだが、ヘンドリックスが登場した頃には使用するミュージシャンもほとんどおらず、生産中止の噂もあった。しかしヘンドリックスが使用することによってストラトキャスター知名度が一気に上昇。特にストラトキャスターのシンクロナイズド・トレモロ・ユニットによる驚異的なサウンドマジックは、世界中のギタリストの度肝を抜いた。
  • ストラトキャスターの設計者であるフレディ・タバレスは「ベンチャーズザ・ビーチ・ボーイズのようなサウンドは予想していたが、ヘンドリックスのトレモロマジックは全くの想定外」と発言している。
  • レオ・フェンダーが「あれ(トレモロ)はあんな風に使うものではない」と激怒したという逸話も残っている。
  • ギタリストでありエンジニアでもあったレス・ポールは、1960年代半ばの無名時代のヘンドリックスの演奏を間近で聴いたことがあるという。
  • 後にエレクトリック・レディ・スタジオを開設した際、ヘンドリックスは業界の大先輩であるレス・ポールに挨拶の電話をかけたという。受けたレス・ポールが「君のことが気にかかって、ずいぶん探したんだよ」と語ると、ヘンドリックスは「レス・ポールさんがそんな近くで見ていたのに気付かなかったなんて」と恐縮していたという(レス・ポールの談話)。
  • モンタレー・ポップ・フェスティバル(1967年6月)には、ヘンドリックスと同様に楽器破壊パフォーマンスを売りにしていたザ・フーも出演している。ザ・フーのギタリストのピート・タウンゼントは、ヘンドリックスに「君は天才ミュージシャンだが、俺達には楽器破壊の芸しかない。俺達を先に出させてほしい」と懇願したという(タウンゼント自身の談話)
  • ピート・タウンゼントは「ジミから『ザ・フーのみんなにはとても世話になった』と、とても丁重に礼を言われたことがある。だが本当の友人になることができないうちに、彼は死んでしまった」と残念そうに語っている。タウンゼントはヘンドリックスのギターに惚れ込み、ヘンドリックスの渡英後間もない時期には可能な限りステージに通い詰めていたと言われる。
  • ヘンドリックスが出演しているクラブにタウンゼントが出向いた際、出入り口でジェフ・ベックと擦れ違い「あいつ(ヘンドリックス)は俺の真似をしているんじゃないか?」と悔しそうに言われたというエピソードがある。
  • ペイジがレッド・ツェッペリンアメリカ公演の合間にニューヨークのクラブに出向いた際、偶然同じ店に来ていたヘンドリックスと同じテーブルに着いたことがある。その時のヘンドリックスは完全に酩酊状態で、まともに話をすることもできなかったらしい(ヘンドリックスはあまり酒が強くなかったと言われている)。結局ペイジが生前のヘンドリックスと会えたのはその時だけだった(ペイジ本人の談話)。
  • ベックは「ステージでジミと一緒に演奏していると、自分が歴史の一ページに立ち会っているんだというような深い感慨があった」と述べている。雑誌の記者に「若手ロックギタリストに最も大きな影響を及ぼしているのはジミ・ヘンドリックスとあなた」と言われたベックは「本当か!」と驚喜したという。
  • クリームの名曲「Sunshine of your love」は、クリームのメンバー3人(ジャック・ブルースジンジャー・ベイカーエリック・クラプトン)がヘンドリックスのステージを鑑賞した夜、ヘンドリックスの演奏に触発されて生まれたという(ブルースとベイカーの談話)。
  • クラプトンはヘンドリックスと同じような“エレクトリックヘア”(チリチリのアフロヘア)にしたり、東洋風のヒラヒラした衣装(キモノ)を着用したりしていた時期があり、ヘンドリックスから強い影響を受けていたことが知られている。

以上、『Wikipedia』「ジミヘンドリクス」項より
ジミ・ヘンドリックス - Wikipedia

いくつかどころか大量になりましたが、今なお人気のミュージシャン達にこれだけの影響を与えていたジミヘンドリクスという人は恐ろしい人間です。その上、メジャーデビューしての活動はたったの4年。4年でこれだけ刺激的な生活というのは早死にしてもおかしくないのかもしれません。


もっとうらやましいのは、ちょっとクラブやバーに入ったらジェフベックがいたりジミー・ペイジがいたりするのもまた。当時はギターヒーローがごろごろしていたのかなと思うとうらやましい時代です。


結構知らない人がいるんですが、ビートルズとクラプトンとジミヘンとローリングストーンズ辺りはみんな名前は知ってるのに、同じ時代の人だと思ってないんですよね。特にビートルズは飛びぬけて昔だと思っている人も多いのですが、そんなことはなくて、ビートルズとクラプトンはセッションもしていますし、ビートルズジョージ・ハリソンの奥さんを奪ったのもクラプトンですし。上述のようにみんな親交があったことも知られています。この時代にたまたま社会現象化していたのがビートルズだったわけで、その他の有名アーティスト達も時代を担うサウンドやパフォーマンスを繰り広げていたのです。50年代後半から60年代というのはその意味でロックの大躍進が進んだ時期で、エリッククラプトンやポールマッカートニーなんかは今なおその生き証人なのかもしれません。


この辺の人がいつ死んでもおかしくないので、正直不安でしょうがありませんね。既に多くの歴史的ミュージシャンは過去の人になってしまいましたし。JBが死んだのは去年だったかな?


ということで、ジミの素晴らしさなんかを紹介して〆ます。