騎士団氣志團の人が結婚

あんまり良く知らないのですが、一応おめでとうございます。そして、氣志團に対抗するバンドが千葉県は柏市から出馬したそうです。千葉県のロックがどうのという話ですが、正直あんまり興味が無いというか、佐野元春カッコええ(ぇー


街から有名人を輩出するのは、その街のイメージを作ってしまうという場合によっては欠点ともなり得るものを背負い込みながら、町興しに一役買うわけで、その意味で地域コミュニティは有望な人材を輩出することに力を注ぐのは重要なことだとは思います。できれば文化的にも知的にも経済的にも豊かであることにこしたことはないわけなので、多くのアーティスト(広い意味の)や名産、名物な何かとかを作り出す土壌作りは大事ですね。街を自分達の力で作るというのは市民という考え方であり、自分達で作った街はそれを持続する継承者の存在なくしても語れないわけで、その意味でコミュニティの中での人間の育成という部分は多分に必要とされてくるべきものです。生きていくということは、誰かが誰かのためであるはずだし、それを思想的に考えたのが今のサービス産業の理想的な形なんではないかなぁとも思ったりするわけです。個人でできないことを企業が、というか誰かがしっかりやってくれる。本来地域コミュニティで支えあってきたものをサービスという形で提供され始めたのがサービス産業の形ですが、やはりそれが逆に地域を見据えて、そこに持続可能なまちづくりというものを支えていって欲しいですね。教育に関しては、受験だとかその人の幸せだとか、それは大事だと思いますが、それだけではなない何か、というものを支えられるのはコミュニティの役目であるしコミュニティにしか体現できない面でもあるのではないでしょうか。


この前宇宙の話をしていて、突然自分が小さくなってしまったような感覚を受けました。宇宙的には私はチリどころか原子的なモノでしかないとは思いますが、宇宙すらどこからきたかわからないのに、なんで私は生まれ考え生きているのか。しかし、生きてしまったのだからしょうがありません。最悪苦しみたくは無いので、ちゃんとご飯が食べれたり寝れたり、理性とか社会的背景とかで育まれた「自分なり」のいい女を抱けたり、少なくとも世間から嫌がらせを受けずに暮らしたいなと思うわけです。せめて、気持ちや体が「いやだ」と感じることだけはしたくないですね。


とにかく、生き方は人それぞれですが、ふっとなんか宇宙的に物事考えてしまったりすると、結局私たちはこの世の何かにしがみついてこの世の中で生きていかなくてはいけないので、やっぱりこの世のために生きていくべきだと思うのですよ。それが結果的に自分のためだと思います。自分さえ良ければ…は結局いつか自分を滅ぼすと思うのです。究極的には地球がなくなるとかそれに類する意味で。小さいところでは、「誰も助けない」せいで「誰もいなくなった」とかその程度ですが。