で、布団の方向とかも気になったりして、北枕とかそういうのも調べたりしたのですが、縁起がいい悪いというのは解釈により色々考えられるようなことみたいで、安心したりしてます。つくづく、便利な世の中になったなと感じますが、やはりリスクも多くなったと感じるわけです。情報がいくらでも引き出せる世界なので、自分の発している言動や行動、知識に対するチェック機能というのが大事になってきます。様々な人間が自分の性格や知識、日々の生活を公開できるようになりました。ブロードバンド化により、その情報量はさらに大きくなり、文字でしか伝えられなかったものはいまや音声・動画はあたりまえです。
 しかし、多くの人が多くの情報に簡単にアクセスできる時代です。喫茶店や電車の中で会話しているときについ知ったかなんてしてしまったりしたとき、そんなときのチェック機能がかなり敏感に反応します。そのときわからなかった言葉や知識はネットで検索すればいとも簡単に、すばやく手に入ります。その人の言っていたことが正しかったかどうか、簡単にわかってしまいます。悪いことをこそこそしていた人の動きが一夜にして全世界にばら撒かれたりします。人の行動の一つ一つが多様化しつつありながら、実は大きなチェック機能によって、日々判別されています。
 人の現実でのコミュニティはそれほど大きくはなりえないと思います。情報技術は瞬時にあなたを見知らぬ遠くへ連れて行ってくれる、なんていいますが、人一人が物理的に把握できるフィールドはたかが知れています。努力次第でどれほどにも広げることは可能だとは思いますが、人と人の集合という意味ではそんなに大勢の人と関われないことが多いのではないでしょうか。多くはわたしたちの生活圏に属するほんのわずかな人々です。でも、わたしたちは全世界のことを知りえる可能性を持っています。でも実際に会話をしたり行動を共にするだろう人々、何かを共感したり語り合ったりできるのはほんの少しの人々です。その人たちも全世界のことを知りえる可能性を持っています。みんなが世界のことを知りえる時代だから、余計に近くにいる人のことがわかったりわからなかったりします。自分のことや近くの人のことを考えるために世界中のことを引き出すことが可能です。今まで以上に強力なチェック機能が自分に降りかかってきます。
 オーラの泉の江原氏が、「悪いことは必ず誰かに見られている。だから罰になって返ってくる」といったことを言っていましたが、それが霊的なものとかそういったことは関係なく、物理的に可能な時代になっています。全体が見渡せるから、近くのものが良く見えたり悪く見えたりします。人間が機械的な、人間性を備えない行動から開放されつつある時代、余計に人間らしさであるとか生物らしさという部分が強く見えてきてしまいます。それが今試されたり見直されたりしている部分で、そのために多くの知恵や知識を使う時代になったんだろうなぁ、なんてことを思ったりする作今です。